2012年03月24日
円山公園の奥にひっそりと佇む長楽寺。
もともとは円山公園のほとんどを含む土地が寺域でしたが、明治初年幕命により公園に編入されました。
壇ノ浦の戦いで平家は敗れ、命からがら逃げてきた建礼門院はこの寺で出家しました。
当時の御影が、源氏の目をはばかり墨を塗りつぶして現在この寺に残っています。
他にも当時の貴重な宝物がこの寺に収蔵されています。
西行とは佐藤義清が出家した名です。
桜をこよなく愛し、全国行脚をして花を愛で歌を詠んだ生涯を送ったそうです。
出家した理由は諸説ありますが、文献には妻子を捨てて出家したとだけ記してあるとか。
それだけ見ると冷たい男に思えますが、西行は後々まで妻子のことを見守っていたそうです。
容姿端麗でエリートで財産にも恵まれた義清。
年も若く、当時の出家はセンセーショナルなこととして扱われたとか。
義清の心には一体どんな思いがあったのでしょうか。
西行庵は中にも入れるようで、こじんまりとした庭があり、いかにも西行が愛した庵という感じの佇まいです。
長楽寺も西行庵も紅葉の頃は美しい風情を見せてくれるようですよ。
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